★ひとりごとの記憶★

社労士試験勉強の息抜きタイム

夕飯のおかずから思う家族への不満

今夜の夕飯は、

サーモンの刺身三切れ
タコの刺身四切れ
茶碗蒸し
イチゴ

帰宅後、
食卓の大皿に残った刺身の切れ端を、メインのおかずとしてご飯を食べました。

付け合わせに市販の茶碗蒸しをレンジでチーン。

4個のイチゴがデザートでした。

大皿に残ったわずかな食材は、
明らかに食べ残りです。

泣けてきます。

家族が美味しく夕飯を食べたのは想像出来ますが、そこに私の存在が無いに等しい事も、容易に想像出来ます。

帰宅が毎晩遅くて、家族とのすれ違いはあるとしても、私への配慮が欠けている事が残念なんです。

子供達が小さい時は、いつだって子供の為に自分の時間を費やしてきました。

公園に行き、昼ごはんや夕飯の準備も不器用ながらもこなしてきました。

今では、ほとんどの家事に協力して自由な時間を家族の為に費やしています。

頑張ったぁ

そんな自覚を持っています。

子供が思春期に入っているとはいえ、親への配慮が足りない事は、道徳的にも残念です。

科学が進歩して、心が置き去りにされてきた社会の中で、せめて、家族の間では、あったかい心の会話が欲しいですね。

"灯は小さくても いつもあったかい”

北の国から》の五郎さんの家に飾ってある言葉です。

妻と結婚する前に、北海道に旅行に行き、観光地を巡っていた時に、この看板の前で二人で写真を撮りました。

今から、18年くらい前かなぁ…

だいぶ時間が過ぎました。

時間の経過と共に、日常の中に埋もれてしまった あの頃の感情を探す事は困難です。

となりのトトロ》のさつきちゃんとメイちゃんのような温かい家庭を築きたいと願ってきたのですが、なかなか難しいですね。

こんな愚痴を書いていますが、決して不仲な家庭ではありません。

私のささやかな願いと現実との溝が埋まらない事が悲しいのです。

昭和の時代は、貧しくても温かな人間関係が残っていたような気がしています。

スマホで気軽に見知らぬ人通しが繋がれる時代に、心の距離が離れてしまっている事は残念です。

スマホの電源を切って、家族同士が向き合える時間があれば、贅沢なひと時と言えるかもしれません。

満たされない思いは、スマホの中では見つかりません。

身近な人同士が、表情から、仕草から、会話の中から温もりを感じることが大切な時代です。

相手を思いやる気持ちが、日本の家庭を幸せにするように思います。

夕飯のおかずを見るだけでも、心が通いあうよう関係でいたいですね。

お腹は満たされましたが、心の乾きは満たされない夕飯となりました。